会社から帰って、アパートのドアを開けると、真っ暗闇の部屋が私を拒むかの様に冷たく迎え入れる。
手探りで、スイッチを入れれば、朝の慌ただしさをそのままに残している景色が照らし出され、窓の外の明るさだけが失われた夜特有の匂いが漂っている。
LEDの妙にわざとらしい冷たい白い蛍光灯の光が照らしだす部屋の中は、置きっぱなしのマグカップや片付けずに出掛けたドライヤーが今朝の私をそこに置き去りに時間が止まったままで私の帰りを待っていたかの様に語り掛けてくる。
「あと、10分、15分早く起きろよ。
そうすれば、少しは落ち着いて出掛けられるだろう。」
ネクタイを結びながら、朝日越しの鏡の中から反転した笑顔を私に向けて貴方はいつも優しく通る声を投げ掛けてくれていた。
貴方が淹れてくれた、少し覚めたコーヒーを口にする私はいつもヘコヘコと頭を下げながらも、内心はウキウキとしながら彼の出勤支度をしている姿を眺めているのが大好きだった。
私を愛してくれている人。
私がどうしようもなく愛してる人。
おんなじ部屋の中で、おんなじ時間を貴方は余裕を持って、私は慌てもせずに貴方の支度している姿を眺めて過ごしていた。
だって、私は朝のその時間がとても大切で大好きだったから。
寝癖だらけで、ひげ面の貴方がベッドから抜け出た後は、温もりが失われて淋しいけれど、少し離れる事で見る事が出来る、貴方の色んな姿。
たった今、私の横にあった首筋や肩がガウンを羽織る仕草がなんだか無性に逞しくて好きだった。
私だけしか知らない情けない彼や、私にしか見せない可愛い彼が、会社でバリバリ働くカチッとした良い男に変わって行く姿を眺めている時の優越感にも似た嬉しさを噛み締めていた。
朝食の後片付けをしながら簡単に夕食を済ませ、明日の支度をある程度までこなしたら、
お風呂にゆっくりと浸かって、やっと落ち着いて一日の終わりを迎えられる。
二人で暮している時には、それ程広いとは思えなかった部屋が変に殺風景で味気なく、こんなにも横にスペースが余るのが、やけに淋しいソファーが虚しくて、そこに一人で座ることを躊躇ってしまい、ついつい床に腰を降ろして膝を抱えてしまう。
耳と頭の間にしぃ~んとした音が染み込んで来て、暖かった体の肩口から夜の冷たさが忍び込もうとしている時間帯に貴方からいつもの長文のメールが届けられる。
天気の話しや季節の草花の話し、美味しいラーメン屋を見つけただの、街で見掛けた変な人の話題だの、どうでも良い様な書き出しの後に続く、私への語り口調は、まるで直ぐ隣で話し掛けられている様な錯覚に陥ってしまい、私はそのメールを読みながら、一人ぼっちでついつい返事をしてたり、言い返してみたりしている。
何故、貴方は私の隣から消えてしまったのだろう。
私はいつ貴方の友達に成り下がってしまったのかな?
どうして今、貴方は隣で私を見つめられないのかな?
この部屋に居た筈の貴方は、何故こんなスマホの中から私を語っているの?
どうして、私を一人でこんな所に置き去りにして、貴方は平気で仕事が出来るの?
見えない私が不安じゃないの?
私は、、、不安でいっぱいだよ。
私は、、、淋しくて死にそうだよ。
こんなスマホの中から貴方は、それでも私を見詰めていてくれている。
貴方にしか見えない私の素の心は、どうしてそんなにも私を孤独にしてしまうのかな?
そんな気持ちを素直に文章に出来ない私は、自分のスマホを握り締めて語り掛けているばかりで、指先は何も書く事が出来ないなんて、距離を詰められない愚かさに夜が更けて行く。