エリカ 1
今でこそ、携帯と言う魔法のツールが存在している時代なのだが、
太古の昔は、家の中か街中の公衆電話くらいしか連絡手段がなかった時代が存在していたのである。
待ち合わせの時間と場所を家の電話で話し合って出掛け、落ち合わせてデートをする。
一歩、外に出てしまえば、例えば電車の遅れや交通渋滞で待ち合わせの場所に遅れてしまう様な場合があったとしても、相手に連絡手段がなかったのだ。
待つ方の気持ちの不安。
遅れている方の焦り。
お互いの心の強さが試されるアクシデントが当たり前に存在していた大昔の時代に俺達の世代は生き抜いて来たのだ。
そんな不便な世の中で俺達は淡い恋愛を育んで来たのだ。
全てを閉じ込める様な
銀色の雪が音もなく
降り続いていた。
周りに足跡一つない
バイト先の駐車場。
俺の車の直ぐ横に立つ
見覚えのあるシルエット。
あれ?
いつからそこにいたの?
待ち合わせなんて
してなかったよね。
雪が積もってしまって重そうな傘。
肩に頭にブーツの爪先に
吹き込んだ雪が積もっていて
明らかに凍えてしまっていた。
俺のバイト終わりの夜更けだった。
夕方から降り出したボタン雪が
いつの間にか、
こんなにも積もっていたなんて。
こんな所で、なにしてるの?
俺を待ってたの?
どうして店の中に入って待ってなかったの?
そこまでの足跡が雪の上にない所を見れば、彼女はこの雪が降りだす前からそこに立って俺を待っていた事がうかがえた。
一体いつから、ここに居たのだろうか?
どうして、なんの為にこんな悲惨な状況になるまで、ここに立ち続けていなければならなかったのだろうか?
数々の疑問や不安が頭の中で渦巻いていた。
そう、まだ携帯電話のない時代なのだ。
彼女は、今現在俺が付き合っている彼女の友人エリカだった。
俺との面識と言えば、彼女の友人として何度も会っているし、俺のアパートにも何度も上がり込んでは、気兼ねなく話しをしていた仲だった。
冗談も言い合えるし、ボケも突っ込みも出来るような軽いノリの明るく楽しい女の子。
俺は彼女を通してしか、このエリカとは会った事はなかったが、かれこれ半年くらい前からちょくちょく顔を合わせては、漫才の様なふざけた距離感で接していた。
そう、このエリカはあくまでも彼女の友人のエリカでしかなく、俺に取ってはそれ以上でも以下でもない、知り合いでしかなかったと思い込む様には心掛けてはいたのだ。
そのエリカが何故、こんな悪天候の中をわざわざバイト終わりの夜更けまで俺を待ち伏せていたのだろうか。
妙な胸騒ぎと、果てしない疑問で、やや冷静さを失ってしまっていた。
兎に角、エリカを車に乗せてエンジンを掛けた。
とは言え、車内などは直ぐに暖まる分けもなく、明らかに凍え震えているエリカに取ってはなんの意味もなかった。
何をしてたの?
俺に何か急用でもあったの?
どうして、店の中で待ってなかったのさ。
こんな雪の中で待ってなくちゃならない理由はなんなの?
俺は矢継早に質問を投げ掛けていた。
余りにも悲惨で凍えているそのエリカの姿は、それまで俺が知っていた、明るく陽気なエリカのそれではなかった。
おそらく、エリカはこの雪の中を根性だけで立ち尽くしながら俺を待っていたに違いなかった。
それは、一体なんの為なのだろう。
彼女からは、エリカの話しは何もされてはいないし、こんなになるまで俺を待ち続けていなければならない理由を早く知りたかったからだった。
兎に角、エリカを自宅に送り届けなければと、車を走らせ始めた。
とは言え、隙間風が入り込む様な、俺のポンコツの車内が直ぐに暖まる分けもなく、外に居るよりかは暖かい程度の暖房能力しか出せない情けない車だった。
エリカの自宅は、そこから20キロ以上は離れた田舎町にあった。
夜の10時近くにもなれば、地方のローカル鉄道は最終便もなくなり、バスもこの街からは9時にはなくなっているのだ。
エリカは、もしも俺に会えなければ雪で凍えた体でタクシーを捕まえて帰る積もりだったのだろうかと、ふと疑問に思った。
相変わらず、いつもの明るいエリカの雰囲気は何処にもなかった。
幸い俺の車はポンコツとは言え、ラリー仕様の為に雪道には威力を発揮してくれて、国道を外れた積雪道もなんなく踏破してくれていた。
「あのね。」
市内を抜けて、街明かりが乏しく成り出した県道を走っている頃だった。
ポツリポツリとエリカが口を開き始めたのだった。