toshimichanの日記

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持論暴論恋愛論

なんとなく不自然な気がしていたんだ。
「貴方はこんな女を好きになる筈」を想像して演じているアクトレス
即座に「ごめんなさい。」が言い出せる低姿勢は、余りにも彼女らしくない媚びた偽りの姿。
本性は乳房の内に隠し持ち、柔らかく豊かな丸み味で見事にカモフラージュされている。

それを承知していながらも、裸になってその見事なプロポーションで擦り寄られててしまえば、それは創られた人柄とは言え、その裸体とのマッチングが余りにも整合性が取られている為に男は抗う事が出来なくなってしまうんだ。

男なんてそんな生き物である。

騙されていると知りつつも、目の前で展開されている理想的な女性像に夢を託して身を滅ぼしてしまうものなのだ。

女とて、いつまでも舞台の上で架空のヒロインを演じ続けていられる訳もなく、
また、しっかりと毒牙に掛かった獲物に対して無駄な労力を費やす必要がなくなれば、自ずとその本性を露呈させる。

女もまた、そんな生き物である。

剥き出しに露出した人格がどうであれ、獲得した体には偽りはない筈である。

男は、その時点でその女体をどこまで理解し、掴んでいるのかが、そこからの優位性を大きく左右するのである。

化けの皮が剥がれて偽っていた仮面を脱いだ女の本性が必ずしも男の意に沿わない分けではなく、そこに現れた女の真の人格次第では問題なく付き合う事が出来たりもするのだ。

要は、単純に性格的な相性に尽きるのだろうと思うのだ。




ありのままの姿で一緒に過ごしていて、お互いに安らいでいられる関係がやっぱり最強の相性なんだと思うんだ。


例えば、ふと喉が渇いている事に気付いて、コーヒーが飲みたいなぁ。
と、考えるともなく、ぼんやりと脳裏を掠める程度の欲求が浮かんでいた。

言葉にも出さず、アイコンタクトすら取ってもいないはずなのに、

何故か、気を使ったわけでもないのに自然発生的に、二杯のコーヒーが淹れられて差し出される。

「あっ、そうそう、丁度コーヒーが飲みたかった。」と、改めて気が着いたタイミングで、香り高く、調度良い濃さと熱さ加減のコーヒーがスーッと傍らに置かれる。


「ありがとう。」の意味だけではなく、そこで溢れ出す嬉しさを込めて顎を手向ければ、チュッと触れ合う唇。

さりとて、特にそれに感動する分けでもなく、二人で美味しいコーヒーを飲んでいる時間を共有している空間の柔らかさ。
所作所在の心地良さ。

居心地の良い空間の共有。

そこに相手が居てくれるだけの比類なき安堵感。

一緒にいて安心できる人より離れてても安心していられる絆。

素のままの自分で一緒にいられて、何時間も何日間も共に過ごしていても、自然体でいられる。

例え離れ離れになっていたとしても、心の真ん中で常に支えになってくれていて、もう一人の自分の一番の理解者でいてくれる。




付き合い始めてから、数か月、あるいは数年しか経っていないにも関わらず、妙な気安さや安心感があって、あたかも昔から知っている幼馴染みの様な存在感を感じてたりするんだ。

なので、昔の幼かった頃や子供だった頃の写真を見たりすると、そこに自分が写っていない事に妙な違和感や悔しさを覚えたりするんだ。

楽しそうな笑顔や無邪気な仕草が写し出されている写真に筋違いな嫉妬さえ感じたりして、その当たり前の現実と向き合い、改めて己が抱いていり安堵感の正体に気付いたりするんだ。



もしかして、
同じ気持ちを共有していないのかも知れないけれど。

手を伸ばし、その肌に触れれば、忽ち(たちまち)に込み上がってくる堪らない愛おしさに心が締め付けられる。

ありのままの素の心を剥き出しにしているのにも関わらず、溶け合っていて温かく、居心地の良い時間が過ごせるんだ。






絶対的に相性の合う相手は存在するんだ。
探そうとして見付かるものでもなければ、なんらかの努力で成し得るわけでもない。

もしかしたら、自分の知り得る範囲の全ての人の中にその人は存在していないのかも知れないんだ。

陳腐でありふれた言葉なのだが、「運命」としか言い様がないのかも知れない。



プラトンの真球体と呼ばれる恋愛論がある。

結ばれるべくして結ばれたカップルの心理状態は何処からどう見ても合わせ目が分からない、まん丸な真球体をしていてとても強く美しい形を成していると言う理論があるんだ。

同じ直径、同じ質量、同じ色をした二つの半球が合わさり出来上がった真球体は、上下左右前後の区別が着かない程の美しいまん丸の恋愛を成し得るんだ。

二つの心、二つの気持ち、二つの性であっても真球体になれるんだ。
重ね合わせるのではなく、半球面同士が何か得体の知れない力に因って引き寄せ合って結合し融合してしまうんだ。

それは、ある種の運命と呼ばれる化学反応であるかの様に引き寄せ合って出逢ってしまう恋愛なのである。


真球を成し得た二人の恋愛は、その形状の特徴として、あらゆる方向からの外力、つまり疑いや悔しさ、嫉妬や不安に対しての負の精神的なダメージを受け難く、球面の持つ輝きで弾き返せてしまうのだそうだ。





エロい話しになってしまうのだが。
勃っている物が濡れている穴にスッポリと納まった時に、包み込んでくれているその胎内の質感が堪らなく愛おしく思えて、その体を強く抱き締めたくなってしまうんだ。

自分の体ではない、もう一つの「自分の体」を自分の中に取り込もうとするかの様に力の限り抱き締める。
相手の身も心も、その存在の全てを自分の意思や感情、喜びも痛みも、快楽も苦悩も全部含めた存在自体を共有したくなるんだ。

けれど、決して一つにはなれない焦れったさ、不甲斐なさ。

そんな思いがほつれたり拗れたりして、性欲と共に胎内へ伝えたくなるんだ。

相手の身体の中心に向かって、己の意思を伝えるべく、その猛りを衝動的に突き立てるんだ。

一つになりたい。

取り込む事が出来ないのであらば、せめてこの猛りが発する伊吹を身体の中央に届かせたい。

俺の意思を体の真ん中で受け止めて貰いたいんだ。などど思ったりもしている。




性欲が溜まった状態で生おっぱいを見てしまうと、その性欲からかおっぱいを乱暴にむちゃくちゃに揉みたくなってしまうんだ。

けれど、一旦その性欲が十分に吐き出されてしまうと、それ迄おっぱいに抱いていた嫌らしさが失せて、おっぱいの持つフォルムや質感に美的な尊さを感じるんだ。
もちろん、その触り心地もガシガシと揉みしだく乱暴な触り方ではなく、柔らかな手触りを味わうかの様な慈しみの心を持って接する様になってるんだ。

出す前と出した後の男の精神状態とは、そんなものである。






こんな、文法を無視した脈絡もなければ、趣旨すらも分からない物を最後まで読んで下さる方は、きっと器の大きな人物なのでしょうね。
暇を見ては、殴り書きをした物を無理に引っ付けたら、こんな変な物になっちゃったんです。
いや、別にアップするほどの物でもないので、ゴミ箱に捨て様かと思ったのですが、これもまた、私の感じた考えである事には間違いはないと思直してしまいました。

てか、それじゃ、このサイトさんはゴミ箱って事じゃん。と気が着かれた方は他言無用にて宜しくお願い致します。