悲しいげな表情ながらも笑って立っていた。
その瞳には例え様のない愁いを讃えて、今にも溢れそうな涙が光っていた。
一生懸命に作っている笑顔は、それを保っているのが精一杯で、何かを語ろうとする唇は動かせなかったのだろう。
少しでも何かを話そうとすると口角が歪み戸惑う様に震え出してしまってた。
思えば俺は、今までに彼女のこんな表情を見た事は一度もなかった。
それでも何故なんだろうか、そんな彼女の語りたい心の声が、耐え難いくらいに俺の心に訴え掛けて来ていた。
ただ立ち竦んで見つめ合っているだけの、二人っ切りの無言の語り合い。
大丈夫だよ。
その叫びはちゃんと俺には届いていたよ。
だって、
ついさっきまでは愛し合ってた仲なんだから。
七年間も付き合って、求め合っていた相手なんだから。
何度も何度も、話し合った筈だよね。
こうなった時の約束は、した筈だよね。
青葉の綺麗なこの季節。
もしかしたら、出逢いと別離れには、一番良い季節なのかもね。
声にして言い表してしまえば、何かが崩れ出してしまう気がした。
この距離を少しでも縮めてしまえば、手を差し伸べてしまいそうな気持ちを抑えられなくなるのは分かってた。
この気持ちを、今のこの関係を保てるギリギリの距離が、この5メートルだったんだ。
「うん。」
最後の一言を聞いてから、背を向けて。
堪えきれずに漏れ出した嗚咽の様な、小さなうめき声が、
突然に強くなる気紛れな春風に遮られて聞こえなくなる距離。
それ以上離れれば、心が届かなくなる限界の距離。
振り返り、向かい合って、
見詰め合った。
もう、これから先、
二人は、これ以上に近付かないだろうと思った瞬間に振り返った距離だった。
出来る事なら、力一杯の腕力でもう一度、この腕の中に彼女の温もりを感じながら抱き締めて、最後の記憶に残したかった。
たけど、それは、
彼女の最後の声として聞いた「うん。」の言葉を踏みにじる、最悪な別れになる事が分かっていたから、
ただただ無言で立ち竦んで、見詰め合っていたんだ。
だから、たった5メートル。
「さようなら。」すら言葉にせずに向き合っていた、長い長い5分間。
二人の長い長い7年間の付き合いを終わらせた5メートルの5分間だった。
真ん丸に刈り込まれた、真っ赤なつつじが咲き誇り、
その赤をも上回る様な濃い深紅の薔薇が、突然に強く吹いた風に揺らめいていた。
この5メートルの5分間。
その鮮やかな鮮血の様な紅い色を
もしかしたら俺は、一生忘れられないのかも知れない。