toshimichanの日記

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屁理屈

100%の信頼感から来る近接した男女間の精神的な距離は、礼儀や遠慮などを一切省かれた、もう一人の自分とも思える親近感を持って相対しているものだったりする。

勿論、そこに感謝や喜怒哀楽の心情的な交流は存在しても、あえてそれまで省いていた感情を言葉にして、表情に現してまでの表現をする手段を選ぶのは、その二人の結び着きにほんの僅かな隙間が生じ始めてしまっているのだろうと思う。

 


一緒にいる事が極々当たり前になっている二人に取っては、自分らしく素でいられ、気を遣う事なく表情や感情を露にしても、そのままを受け止めて慈しんでくれる相手は正に、そこにいるもう一人の自分であるかの様な錯覚に陥ってしまう程の安心感が得られる。

そこにいるもう一人の自分が愛おしくて、何よりも大切に思える幸せは、何者にも変え難い存在である事は間違いはない。

正に空気の様な存在。

空気なんて言う物は、そこにある事が当たり前過ぎて、日頃の生活の中でその存在など全く意識などした事のない物質。

有り難みなどを感じる事などは一切ない物。

しかし、ひと度、一瞬でも呼吸が出来なかったり、無理なランニングをしたり、まあ余りない事だが酸素の摂取不足に陥ると、その有り難さ、必要性、大切さに気付いたりする物だったりする。

 


極々当たり前に、常日頃から自分の彼女として一緒に暮らしていたりしてしまうと、その彼女の有り難さを感じなくなってしまっている時があったりする。

「喉が乾いたな、コーヒーが飲みたいな。」

と一言、言えば、調度良い飲み頃の温度の、正に俺の味のコーヒーが、俺のマグカップに注がれて目の前にすーっと差し出されたりする。

これは、絶対的に当たり前ではないって事を常々心に留めて、「ありがとう。」って感謝の気持ちを持ち続けていなければならないって言うのは、解っていても、

その有り難みは、いつしか当たり前になって行ってしまう物だったりする。

かと言って、毎回毎回視線を合わせて、丁寧に「有り難う御座います。」の気持ちを込めての仰々しさは、他人行儀だし、

「ありがと」と、あっさりとした感謝も長年続けていると言わなくなってしまう物だったりもする。

その内に、「ん。」だけになってしまって、その、コーヒーを淹れてくれている行為に対しての手間や気持ちに対しての有り難さは薄れてしまって行くものだったりする。

 

 

 

それは、夫婦だったり、長い同棲生活をしてるカップルだったりには案外と起こり易いのだろうと思う。

それは、例に上げたコーヒーを淹れてくれるって言う事一つの事柄を代表にして語ったけど、一事が万事に当てはまってしまうのは言うまでもない。

 

 

 

 


長年同棲をしてしまって空気になってしまった彼女がいた。

恋愛をして、お互いに求め合ったからこそ始めた同棲生活は、甘い上質な白砂糖を煮詰めて行く様な感じのもので、

鍋の中で沸騰している熱湯に、バサリバサリと砂糖を加え続けて行くと糖度がどんどんと増して行き、やがては密度が濃くなってトロトロとしてくる。

それでも尚、火加減を弱火にして砂糖を加え続けて行くと、ネットリとした飴状に変化して行く。

お湯が沸くまでは、遠慮がちに気を遣い、おっかなびっくりしながら鍋の中を覗いて、様子を眺めて、そろりそろりと砂糖を加え始める二人。

やがて、甘さが増して行くとお互いを知り尽くそうと夢中になり、もっと自分を愛して貰おうと必死になって労り合い求め合う甘々の生活が始まる。

ある程度の時点で火力が下げられて、安定したトロトロな塩梅の水飴状態の生活は、男として女としての充実した恋愛感を味わいながら求め合う度合いが合致しているのだが、

夫婦ではない、法律上の束縛が成されていない同棲と言う間柄の二人に取っては、世間体やお互いの専属感の乏しさからなのか、もっと深い繋がりを求める欲求が気持ちをふつふつとさせるのである。

もう充分に甘さになっている水飴に、更に砂糖が加えられて行く。

それが独占欲、嫉妬として現れてしまうのだ。

 


元より、愛し合い求め合って始めた同棲生活は、数年も経てば甘さも限界を超えて水飴も固さが増して行っているのである。

いわゆる悪甘の生活状態。

愛しているの証明が求められる様になってしまった。

求めれば、何時でも何でも応じてくれる。

求められれば、何時でも何時間でもしてあげる肉体関係は、気持ちの繋がりの絆としては確固たる証にはならなくなってしまう嫉妬心。

俺が愛してしまった彼女は、その嫉妬心の化身をもう一人の彼女として心に住まわせている女性だった。

鍋底にセピア色をした焦げ目が見えて来る。

自分以外の女性に視線を向ける俺が許せなくて、あらゆる束縛が求められ、課せられて行く。

もちろん、本気で愛してしまっている彼女の求めているお願いには、応えて上げたい気持ちは張り裂けんばかりにはあるのだが、その求めている度合いの極端さは通常生活ではあり得ないレベルにまで及んでいた。

それを強いている彼女自身も、無理は承知の上での訴えだと自覚はしていたのだが、それを目の前で目撃してしまう嫉妬の辛さは、どうしても口に出して、俺に理解して貰いたいと願うしかないらしかった。

そうして欲しいと言葉にして求める以上は、それに見合った献身的な償いの意味が籠ったコーヒーが差し出されているのである。

 

 

 

凄い屁理屈を並べてみました。

めんどくせぇ~な、オレ!

なにやら、無理なストーリーの締め括りな気がするけど、、、