toshimichanの日記

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ストーンウォッシュ

ヤマハXJ750に跨がり、エンジンをかける。

横浜インターから東名高速に乗り、

ひたすらアクセルを握り走り続けた。

 


センターラインがライトに浮かんでは消えを繰り返し永遠に点滅している様な錯覚を覚える。

 


時々、大型トラックがノロノロと車線を塞ぎ、追い抜く際に乱気流を

撒き散らして、二輪の車体を風圧で軽々と左右に揺らす。

単調なエンジン音。

時折、ヘルメットにぶち当たる。

得体の知れない虫達がシールドを

汚して視界を邪魔する。

音楽もなく、話す事もない。

単調なエンジン音だけが聴こえている自分との対話の時間。

一緒に暮らして来た出来事が脳裏をくるくると回り、嫌な予感と交差する。

 


飛び去って行く暗い空と、

対向車線のライト達だけの無言の

世界が続く。

パーキングに止まっても

体にまとわり付く湿った空気で

嫌な汗が体に滲んでる。

おしっこと給油だけで、大した

休憩などしない。

ただひたすら神戸を目指すのみ。

 

 

 

夜の10時過ぎ、

美紗絵からの電話が入った。

「もう私、生きて居たくない。

  最期に顔が見たいな

    抱き締めて欲しいな。」

 


彼女が東京を後にしてから2ヶ月くらい。

側に居たのでは未練が絶ち切れない

と言って、故郷の神戸に帰って行った。

 


それまでには、何度かのリスカ

睡眠薬で命を絶つ様な真似を

繰り返し、安定剤を飲まなくては

居られない精神状態だったらしい彼女。

 


思い詰めた電話の声が耳元で

暗く悲しく響いて、彼女の気持ちが

有りのままに伝わって来た。

 


別れてしまったとは言え、決して他人になった訳ではない。

 


大袈裟な言い方かも知れないが、全てを分かち合った、夫婦の様な、

いいや、それ以上の関係だったのだと思う。

どうしても、放っては置けやしなかった。

居ても立っても居られなくなり、

XJを駆り立てて走り出した。

 

 

 

いつだったか、蒲田の商店街を二人でブラついていた時に、何と無く目に付いたストーンウォッシュの分厚い革のジャンパー。

「なんか気に入ったな。」

気軽に言った俺の一言に、

「じゃあ、買ってあげるよ。」

決して安い値段の品物ではなかったが、上質な感じの革で仕立ても良く、

ちょっと重厚感のあるジャンパーをたった一言。

迷う事もなく、ガサッと一度袖を通してサイズを確認しただけで、彼女があっさりと買ってくれたジャンパーだった。

 


しかし、買ったは良いが、重い。

重くて、固くて、余り暖かくない。

とてもではないが、普段には着られ

なかったが、バイクに乗る時には、それらしい感じには纏まったので、後になって彼女の物もお揃いで買ったのだった。

 


革の分厚い素材だったので、真夏とかは着られなかったのだが、風が冷たい季節には、彼女を後ろに乗せて二人で、度々ツーリングに出掛けたりもした、思い出のあるストーンウォッシュの分厚い革のジャンパーだった。

 

 

 

美紗絵にしては、余りにも質素な

アパートだった。

蒲田のマンションと比較すると、余りにもみすぼらしく、湿った感じのする暗くて古びたアパート。

 


表札の名前は合っていた。

長時間アクセルを握り続けて、走り疲れた腕が震えてドアホンを何度も連続で押してしまった。

室内からは、微かな物音が聴こえてくるのだが、一向にドアが開く気配がしない。

別れ際に「万が一の時に」と手渡された鍵をジャンパーの内ポケットから取り出す。

こんな万が一があってたまるか。

震える指では中々鍵穴に鍵が

刺さらなかった。

カタカタと手こずっている内にドアが開き美紗絵が目の前に現れた。

 


たった2ヶ月間、

そこに立って居たのは、俺の知っているあらゆる美紗絵の姿ではなかった。

まるで、見ず知らずの、生活に疲れ果てた貧乏臭く、このアパートには似合い過ぎたおばさんの様な雰囲気。

余りにもイメージが違い過ぎていた。

重くて暗い空気を纏っていた。

その姿に俺は声を掛ける事ができなかった。

こんなにも人は変わってしまうのかと悲しくて胸が張り裂けそうになった。

「美紗絵?」呼ぶ声が掠れて、足元にこぼれ落ちて彼女には届かなかった。

けど、俺を認識したその表情は、見る見る明るさを取り戻し、少しは光明が射した様な気がした。

 


とりあえずは、ほっとした。

 


「どうして来ちゃったの?」

パジャマ姿の彼女は流し台を

背にして寄り掛かって、

何故か薄笑いを浮かべてた。

「どうして別れなきゃ駄目なのかな

  私がこんなだからなの

   一緒になりたいな。」

ボソボソと呟く様な生気のない言葉が、彼女の闇をより一層に際立たせて、俺は立ち竦むしかなかった。

 


「ねぇ、一緒に死んでくれる。」

 


妙に納得の出来る、心にストレートに染み込んでくる暖か味すら感じられる一言だった。

 


見れば、彼女の右手には包丁が握られていた。

俺はそれを見ても驚きはしなかった。

「そうだよね、それでも良いよ。」

不思議と俺は納得が出来た。

彼女の判断なら仕方がないよな。

いつか、こんな日が来るんじゃない

のかな。

と、思った事もあった。

「ごめんね。」

彼女は握った包丁を腰に構えて、

一歩一歩近づいて来て、

目の前で立ち止まり、

 


俺のお腹の辺りを突き刺した。

 


くしゃくしゃに歪む彼女の表情。

 


足元に落ちる包丁。

 


抱き着く彼女が大きな声で泣き出す。

 


キツく、強く頬擦りをしながら

二人は崩れる様に床に膝を着き

ただただ泣くしかなかった。

 


重くて分厚くて固いストーンウォッシュの革ジャンを、か細い彼女の力では、到底貫く事など出来ずに、包丁を弾いてしまったのだ。

 


幸せだったあの頃に、

気紛れで彼女に買って貰ったストーンウォッシュのジャンパーは、彼女と俺の覚悟を嘲笑うかの様に払い除けた。

 


ポケットの脇には小さな切り傷を残したままで、未だに俺の手元に持っている。

 

 

 

何故なのだろうか、そんなストーリーを微塵も知らない筈の家内は、そのジャンパーを物凄く毛嫌いをして、目にする度に何度も何度も、

「捨てて良い?」と訊ねてくるのだ。

 


確かに俺は、結婚してから一度も着た事のないジャンパーなのだが。

決して安くはない物だとは、一目で分かる。

普段は、明るく能天気な家内なのだが、時々恐ろし程の第六感を発揮する事がある。

 


唯一残された美紗絵との最後の品物も、もしかしたら暗黙の内に家内に処分されるのかも知れない。

 


俺は、もうそれでもいいのかな。

と、家内の鼻唄にイラっとしながらも思った。