暗い暗い裏路地ばっかり歩いて来てしまいましたので、ここらでお口直しの、毎度バカバカしいエッセイでも、、、
男と女が出会って、お互いに惹かれあって恋愛が始まるんだけど、最初の頃は恋心ってのがあって、盲目的に相手を好きになってるから、相手の何でも、どんな部分も好きで、許せるし受け入れられるよね。
だけど、それも時が経てば相手の人間性ってのが見えて来て、自分の我も出てきて、そこからは人と人との付き合いの面が擦り合わされて行くんだよね。
嫌いな所とか好きな所とかがはっきりしてくる。
勿論、相手を異性としての意識は残したままで、その上に人間性が重ねられて。
そこに自分の個性が絡まって来る。
異性として惹かれた相手の人間性までも愛する事が出来るのかってのは、恋愛感情を持っている最中には冷静に判断なんか出来やしないんだ。
恋愛感情から始まった男女関係は、相手を好きな分だけ、或いはそれ以上に相手にも思って貰いたいし好かれたいから、自分を綺麗に偽るし隠したりもしてしまう。
それが「相手を騙している。騙されている。」の
根本の様な気がするんだよね。
つまりスタートラインでは騙す積もりはなくても、自分を飾り偽り隠している時点で騙してしまってて、先に覚めて冷静になった方が相手の騙しに気が付いたりするんだろうね。
嘘を吐いている分けではなくて、相手に良く思われたくて、ついつい飾ってしまう部分があったりするよね。
例えば、レストランで対面の食事をしてる時に、妙に上品に食べたり、大袈裟に美味しいって表現してみたり。
親密な関係になっていない間柄だと、食べている料理にはケチは付けられないし、嫌いな食べ物を皿の隅に避けたりも出来ないし。
「これ、嫌いなの。」と、明ら様に嫌な顔をする事もしない。
それが、例えば家族との食事だったら、嫌いな食べ物は食べなかったり、他の家族に上げたりもしたりするんだけど、相手が好きな異性で、これから親密な関係を築こうとしてる場合には、そんな事はしないわけで。
そこが騙してるって観点の始まりの様な気がするんだ。
逆に、本気になって好きな相手と居る時の自分が一番の自然体なんだって思える時ってあるよね。
相手と一緒にいる時間が心地好くて、どんなに長い時間を共に過ごしていても、相手に無理に気を使っているわけでもなく、自然な態度で思い遣れている関係。
相手に不満を感じずに、自分もああしよう、こうして上げよう。なんて思考して考えた気遣いではなく、相手の状況が自分に反映されて自分にしている様に相手にして上げている状態。
なので、気遣いではなく自分自身の姿勢を相手に差し出している居心地の良さ。それを自然に受け取れている、これまた自然体の仕草。
相手が他人ではなく、人ですらない。もっと言ってしまえば、空気感の心地好さ。
当たり前にそこに存在する、もう一人の自分の様な絶対的な存在感。
好きとか愛してる。は根底にガッツリと固まってしまった相手が息が掛かる距離に居るにも関わらずに、全く自然に自分らしく心が遊べる不思議さ。
騙しから始まった恋愛も、相手の人となりを異性として受け入れるのではなく、一人の人として認められた時から、馴染み、刷り会わされて歩み寄って行って、お互いの凸凹した人間性が削り合わされれば、そこに漂う空気になれる。
可能性は、、、
それは、正に奇跡なのかも知れないけど、そんな相手に巡り会えたのなら、何億分の一って確率なのかも知れないよね。